Office Tina ~ Le Vent ~

真実を知る勇気とは、現実をしっかり見つめるということ。 それが自分を信じる力になっていきます。 身近にある愛すべき美しいモノたちと共に、鎌倉に吹く風を感じながら日々のことを綴っています。 L'amour est comme le vent, nous ne savons pas d'ou il vient.

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「木を見て森を見ず」

古くから言われている諺のひとつですが
知人から教えていただいた古武道の技の中にこの言葉が出てきて
改めて「今」を思いました。

この言葉には
「細かい部分にこだわりすぎて、大きく全体や本質をつかまないこと」という意味があります。
一部のことや細部にとらわれすぎて、全体に注意を向けず
物事の全体を見ることをおろそかにしている状況を表しています。
小さいことだけに心を奪われると全体を把握できないということのたとえです。

特に、今現在の世界中の状況は
人々の恐怖や不安が前提にあります。
恐怖や不安があると、人はそこに心を奪われてしまい
これがそもそも何から始まったのか、そこを見ることを忘れてしまいます。

全ての原因は源にあることを知ると
今、目の前で起こっている現実に振り回されることはないものです。

私たちは、森の中に立つ
一本の木と同じようなものです。
風が吹こうと雨が吹こうと
ただ、そこにしっかりと根を張り
その立ち位置で自分を生きること。


それが
現実に惑わされず
淡々と自分を生きるということなのだと私は思います。



❦こころのコーディネーター
Office Tina
真山ヒロ(ティナ)

・life designer
・color 
coordinator&therapist
・aroma therapist
writer



人のために、何かをしてあげることの意味を
最近よく思います。


先日お会いした青年が
「祖母にうつさないためにワクチンを打つことにしました」
と言った言葉が忘れられません。


コンビニの入り口に立てかけられた新聞の煽るような見出しに
その青年の言葉を想い出し、胸が痛みました。

報道は、平等になされてこそ、その判断が個人のものとなるはずです。
一方通行の報道で彼が判断した結果がどのように出るのかは
今は、誰にもわかりません。

ただ、彼の体がもう元に戻らないことだけは確かでしょう。


その彼と別れた後に、想い出したのが
2007年にYahoo!ブログ「こころのコーディネーター」に掲載した
「人に何かをしてあげること」という、こうづかんなさんのお話でした。


誰かに何かをしてあげる優しさって、何なのだろう・・・
彼と出会ったことで、私もまた改めて
考える時間をもらうことができました。


昨日の記事「種と花☆」と合わせて、お読みいただけましたら幸いです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★


 「人に何かをしてあげること」                    (こうづ かんな)                             

私は、比較的やさしい、思いやりのある人間だと自負していた。

長女で、忙しい両親に代わって妹や弟の面倒をみてきたことが
習い性となったのか、頼まれごとをされれば、なんでも引き受けてしまうし、
少しばかり自分の時間や労力を費やすことになっても、
それを惜しむ気持ちにはあまりならない。

だから他人からは、面倒見がいいとか、気配りがあるとか、
やさしいとか言われ、そう言われればもちろん悪い気はしないから、
自分でも何となくそんな気になっていた。

そんなある日のことである。
食事中に私は、友人から意外なことを言われた。

共通の友人の窮地を見かねて、私が一肌脱いだ経緯を話し終わった時、
彼は小さく溜め息をついて言ったのだ。

「君のやさしさってさ、自己満足的なところがあるよね」

私はカチンときた。「どういうことよ、それ」

「いや、だからさぁ、
君は確かに相手のために何かをしてあげているんだろうけど、
結局それは、自分の美学をまっとうするためって感じが、
ときどきするんだよね。」

彼は言いにくそうに、けれどもきっぱりと私に言ってのける。

私は猛然と反論しはじめた。

「何かしてあげて、
それで少しばかりこちらの気分がよくなったら自己満足なの?

やさしくしてあげよう、と心掛けていることをしたのに、
それは自分の美学を遂行したにすぎないって言葉で片づけるの?

それって、あんまりじゃない。

もちろん私は神でも仏でも聖人でもないんだから、
そりゃあ無垢な心でやってる訳ではないけど、
相手のことを思ってやっているのは事実よ」
 
黙ってしまった彼の前で、私はひたすら言葉を続けた。

「百歩譲って偽善でもいいじゃないの。
偽善でやさしくできるほうが、何にもしないより少しはましでしょ?

能書きばかり言って、
あなたみたいに何もしない人っていうのが一番始末が悪いのよ」
 
こちらもついつい興奮して、刃の鋭い言葉を投げつけてしまう。
彼は苦笑して私を見た。

「ごめんごめん。べつに君を批判してるわけじゃない。
人に何かしてもらいたいってことばかり求めている人が多い中で、
君みたいにしてあげることを喜べる人は、偉いと思ってるよ。
ただ……。 そこで立ち止まっているのは君らしくないと思ってるだけ。」

話はそこで終わり、気まずいまま私たちは店を出て、
ほとんど会話をすることなく駅まで歩き、
そしてそのまま別々の電車に乗った。

下り電車はまだ混んでいて、私は吊り革にぶら下がりながら、
さっきの友人の言葉を思い返した。腹は立つのだが、何となく気になる。

残念だが心の奥底が、
どこかで彼の言葉を認めているような気もしはじめていた。


ふと昔聞いた仏教説話を思い出す。

それは地獄を釈迦が歩いている時のことだった。
地獄に落ちた人々が、釈迦に向かって口々に「食べ物をくれ!」と叫ぶ。
釈迦はその言葉を聞き、大皿に食べ物を山のように盛り、人々の前に置いた。

そしてこう言ったという。
「食べても良いが、手掴かみではいけない。この箸を使って食べるように」

差し出された箸は、重くて長い箸だった。
人々は釈迦が歩み去るのを待ちかねて、箸に手を延ばし、
食べ物を口に入れようとした。
ところが箸は長いので、食べ物を箸の先が掴んでも、
遠くてそれを口に入れることができない。
ならば箸の下のほうを持って……と試みても、箸は重いので、
今度は満足に操ることもできない。

結局、目の前に山のような御馳走があるのに、
それらを口に入れることができないのである。
人々が泣き叫んでいると、ある一人の老人が何事かを思いついた。

箸で食べ物を掴んだら、自分ではなく、目の前の人の口に入れるのである。
食べさせてもらった人は、もっと食べたいから、その人も箸で食べ物を掴み、
自分の口ではなく、目の前の他人の口に入れる。
 
自分ばかりが食べようとしている時には口に入らなかった食べ物が、
人に食べさせることによって自分の口に入る。
人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながるのだ
……というような話だった。

こういう戒めはキリスト教にもある。
聖書には「自分がしてほしいと思うことは、人にもそのとおりにせよ」という
言葉がある。ごくごく基本的な「思いやり」の教えなのであろう。
 
けれども、あの仏教説話を聞いた時、確かその話をした人は、
こんなことを付け加えていたのではなかったか。

「これは、思いやりは大切だという教えではありますが、
もう一つ大切なことが隠されています。
それは、人が誰かのために何かをするという行為は、
所詮、自分への見返りを期待してのこと。
仏の慈悲と同じだと思い上がってはいけない……ということです」

友人はこのことを言っていたのだろうか。
自分の行為を仏と同等に扱ってはいけない。
それは思い上がりであると言いたかったのであろうか。
 
私は決して、何かを人にしてあげる時、
具体的な見返りを期待しているわけではないと思っているが、
でも心の底には、そうする自分を見て満足するとか、
人の評価を聞いて満足するというような、
精神的見返りを持っているところが皆無とは言いがたい。 
 
私は窓の外に目を遣りながら、じっと考えた。
聖書の中に、こんな言葉もあったっけ。

「人がその友のためにいのちを捨てること。それより大きな愛はない」

見返りを求めず、自分の身を投げうつことが愛というならば、
私がささやかにしている行為など、愛の足元にも及ばない。
 
私は胸が苦しくなった。
 
してもらうことを望むより、してあげることの喜びを感じられるほうがいい。
偽善でも見返りを求めるような気持ちがあっても、
やさしさを表さぬよりは、表したほうがいい。

けれども、そこは第一のステップにすぎない。
その上に、階段はずっと続いているのである。
私はその階段があることに気づいていなかった。
…いや、気づいていたのかもしれないが、
面倒で、見ないようにしていたのかもしれない。
 
友人はたぶん、そういうことを言いたかったのだろう。
けれども、だとしたらいったい私はどうしたらいいのだろう。
どんなふうにすれば、せめてもう一段、階段を上がれるだろう。



帰宅後、
私は思い余ってさきほど別れた友人に電話をした。

電車の中で気づいたことを素直に告げた後、
どうすればいいのだろうと尋ねたら、彼は笑いながら言った。

「感謝感謝」

「え?」

「神や仏の愛はもちろんだろうけれど、たとえば・・・・・

植物はさ、あなたのために無償で空気を提供してくれてるんだし、
太陽はさ、何の見返りもなくあなたを暖めてくれてる。

人は誰もみんな、気づいていないかもしれないけど、
もの凄い『やさしさ』を与えられながら生きているわけよ。

それを思えば、君は誰かに何かをしてあげた時、
きっと自己満足なんかしないと思う。

むしろ、あたりまえだと思っていた街路樹やこもれびにサンキューって
言いたい気分になると思う。偉そうなこと、俺も言えないけどね」

私は体中が温められたような気分だった。

その友人は二年後に亡くなった。

周囲の人の殆どは知らなかったが、
彼はずいぶん以前から重い病を抱えていたという。
もちろん私もそんなことはまったく知らなかった。

郷里に住む高齢のご両親にかわって、
友人たちが彼のアパートの整理をした。
そのうちの一人が、後日、私に電話をしてきた。

「彼の部屋は貼り紙だらけだった。テレビには『笑いに感謝』、
流しの水道には『水に感謝』、トイレには『排泄に感謝』、
ベッドには『眠りに感謝』、それに……薬の入った箱にまで貼ってあるの。
何て書いてあったと思う?
『病気に感謝』って書いてあったのよ」

彼女はそういうと電話口で泣きだした。

人に何かをしてあげること。

それはもしかしたら、
自分が目に見えぬ多くのものに守られ愛され支えられていることを
素直に感謝する瞬間なのかもしれない。
 
次のステップはまだ遠い。
でも私はあの友人のおかげで、
ほんの少し心の階段を上ることができたかもしれないと思っている。

                            ~《大望》2月号より転載~

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お久しぶりです。

みなさまお元気ですか?

私は、改めて原点に返り
淡々と「種を蒔く日」を過ごしています。
これまでもしてきたことを
別の角度から継続しています。

2008年にYahoo!ブログ「こころのコーディネーター」に掲載した
記事を改めて読んでいます。

みなさまも、お読みいただけましたら幸いです。

***********************



「種と花」


むかーし昔、人々は持って生まれた能力を特に活かせることもなく
まるで生活をするために生きているかのようでありました。

一日の時間のほとんどを労働に使っていた
もったいない時代がありました。

その頃、人々の多くは、自分の中心から少し
あるいは完全にズレたところで生きておりました。

元気の源である自分の中心と繋がって生きてないため
精神的に不安定になったり
イライラしてすぐに腹を立てる人々がたくさんおりました。

そういった人々の思いや行動の源にあったのは
「恐れ」でした。

「恐れ」が想いの中心にあるので
人々は競争原理や奪い合いの精神に突き動かされておりました。

心の病にかかる者がどんどん増え
家庭の中での暴力や、学校や職場でのイジメ
環境破壊に戦争と
世界は破壊のエネルギーに満ち満ちておりました。

そんな時代がどんどん進行していく中で
この世界をあきらめるのでもなく
嘆くのでもなく
はたまた批判するのでもなく
本来の人の持つ力を信じて
ただ、黙々と種を蒔く人々がおりました。

種を蒔く人々は
「問題の原因は、人が自分自身の中心とつながって生きてないためだ」
ということに気づいておりました。

ですから、人々が自身の中心に戻れるような機会を作っていこうと
それぞれ、好きなことや得意なことで、種を蒔いてゆきました。

ところで、種はどうのようにしてできるのでしょうか?
種を作るには、花を咲かせればいいのです。
一人ひとりが自分の花をさかせれば、そこに種は生まれます。

土の中には長い間、眠ったままの種が何千何万とあるそうです。

それらの種は、何かの拍子に土が耕されたり
揺り動かされたりすると、その刺激で目を覚ますそうです。

人の中にもたくさんの種が眠っています。

そして、何かの拍子に心がほぐれたり
感動して心が動かされたりした時に
心の種は「ぴこっ」と目を覚ますのです。

種が目を覚ましても、目が出て花が咲くまでは
しっかり世話をしてあげなくてはいけません。

芽がまだ小さい時には
外からの強い雨風から守ってあげ
伸びはじめたら今度はせっせと水をやり、陽に当ててあげるのです。

それは、自分自身の仕事です。

人が花を咲かせれば、その花を見た誰かの心が動き、
眠っている種が目を覚まします。

一つの花からは、たくさんの種が生まれます。
そして、人は種をまくことができるのです。

黙々と種を蒔く人々の行為が、ある一定値を越えた時、
世界中に一斉に花が咲きはじめました。

それらの花々を愛でることによって
さらに人々の中に眠っていた種も次々と目を覚ましていきました。

こうして世に咲く花はどんどん増えていき
世界はあっという間に、色とりどりの花でいっぱいになりました。

きれいな花を見て「きれい・・・」と愛でる時
人は自分自身の中心とつながっています。
「愛でる」
とは、すなわち愛の状態にいるということです。

こうして世界は今のように、愛のエネルギーで満ち満ちるようになったのでした。

おしまい。


***********************
     

 



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☆拙著「風のことば~その向こうへ~」は
全国下記の31図書館でお読みになることができます。



*図書館寄贈本は、地域によってamazonでの販売本とは仕様が異なる場合がございます。

*国立国会図書館以外は、各図書館の審査により蔵書本となっております。


~蔵書になっている図書館一覧~(2020.10.20現在)


・北海道   ①帯広市図書館

             ②稚内市立図書館

・青森県   ③五所川原市立図書館 

・山形県   ④山形県立図書館 

        ⑤市立米沢図書館

・山梨県    ⑥上野原市立図書館
        ⑦富士吉田市立図書館


・長野県    ⑧富士見町立図書館 

・福島県    ⑨会津若松市立会津図書館

・石川県    ⑩石川県立図書館 

・茨城県    ⑪つくばみらい市立図書館
        ⑫茨木県立図書館


・群馬県    ⑬前橋市立宮城分館 

・千葉県    ⑭市原市立中央図書館 

・栃木県     ⑮栃木県立図書館

・東京都   ⑯国立国会図書館・本館

・神奈川県  鎌倉市中央図書館 


・岐阜県    各務原市立中央図書館 


・愛知県     安城市図書情報館

・大阪府    大阪市立中央図書館

・京都府   
国立国会図書館・関西館

   

・広島県    広島市立中央図書館


・香川県    香川県立図書館


・高知県   オーテピア高知図書館(👑)


・福岡県   北九州市立中央図書館 

              糸島市立図書館 


・宮崎県    新富町図書館 

              宮崎市立図書館


・鹿児島県  鹿児島県立図書館 


・沖縄県   沖縄県立図書館


・沖縄県     那覇市立石嶺図書館


・・・・・・★


☆深く何度も読み返したい方は、下記amazonから、ご購入いただけます。

風のことば―その向こうへ―
真山ヒロ
ギャラクシーブックス
2019-06-17


☆お近くの方は、鎌倉市長谷駅近くの「idobata coffee」にてお取り扱いがございます。


・・・・・・★


図書館への寄贈とご縁【Ⅰ】では、

フランス人外交官の方との出会いを綴らせていただきましたが
最近は、海外の方が、興味を持ってお手にとってくださいます。

そして、『何度も読み返すことでこころの深いところと向き合える本ですね』と言っていただきました。
私がこの本を書いた主旨を言葉の壁を越えて理解してくださったことに感謝です。

「風のことば~その向こうへ~」を通して、海外の心理学教授の方や、
翻訳家の方たちとの感動のご縁が続いています。

そんな喜びの日々をスタッフNがツイートしています。



よろしければ、スタッフNの下記Twitter&blogをフォローしていただけますと大喜び致します。

※スタッフN Twitter➡

※スタッフN blog➡



どうぞよろしくお願いします。



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真山ヒロ(ティナ)

❦こころのコーディネーター
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・color coordinator&therapist
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ここ数日、冷え込む日が続いています。

あの暑かった日も、今は遠く・・・
過ぎ去った日々は、本当にあっという間です。

だからこそ、今を大切に生きようと思う寒い朝です。


今月も一日一日を丁寧に♡


・・・・・・・・・・・・・

今月の聖語(*日蓮宗ポータルサイトより)
https://www.nichiren.or.jp/words/


法華経は明鏡の中の神鏡なり



ー神鏡ー

鏡の前に立ったとします。あなたの顔、映っていますよね。でも不思議に思いませんか?
一番身近にありながら自分の顔は鏡を通さないと見ることができません。
同様に私たちの生き様自体も自分では見えているようで実は見えていません。
私たちの姿がありのままに見えているのは仏さまのみです。
その仏さまの目を「神鏡」というのです。
そんな私たちが「神鏡」に映った我が身を見る術は、素直な心で一心に仏さまに手を合わせる。
この一点に尽きるのです。

・・・・・・・・・・・・・

仏さま・・・それは、本当はこころの奥深くで眠っている
生まれたままの素直な貴女かもしれません。

そして、だからこそ、その生きざまを教えてくれる人との出会いは
私たちにとって人生を豊かにする素晴らしいご縁だと思うのです。

この人生の中で、私は、たくさんの方に出会い、気づきを得ました。
厳しいことを言ってくださった方の言葉は、今も忘れずにこころの中にあります。


ひとつひとつのご縁に、今日も感謝です。



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風のことば―その向こうへ―
真山ヒロ
ギャラクシーブックス
2019-06-17

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仕事を終えてから久しぶりにペペロンチーノを食べました。
家から半径500メートル以内の今年オープンしたA店です。

このお店は、全国から安全な食材を取り寄せてお料理をしてくださいます。
パスタの量も加減してくださり、私の場合は通常より少なめです。

既に私は常連になっていて、オーナーの彼女とは、いつも話しが弾みます。


「Mさんのパスタにはかなわないかもしれませんが・・」
そう言われてテーブルに置かれたペペロンチーノが写真です。
今日は、特別にアスパラも入れてくださいました。


その幻の名店「M」

Mはカウンターだけの小さなお店で
オーナーのBさんも、とても気さくな方だったのに
何も告げられずに、ある日突然、閉店してしまったのです。

それから、私の究極のパスタを訪ね歩く日が続きました。

結局、Bさんの作るパスタよりも美味しい味に出会えることはなく
諦めてしまった私は、どのお店に行っても
パスタを注文することすら忘れてしまっていました。


アルデンテでアンチョビの使い方が絶妙なあの味。


そんな話を、つい先日
A店のオーナーとお話ししたばかりだったのです。


人の記憶に残るパスタを作った彼は
今、どこで何をしているのでしょうか。


どうぞ、幸せでありますように・・・・。







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【著書】




・・・・・・・・・・・・・・

死とは魂の飛翔の瞬間であり、急激な魂の成長が
もはやこの肉体に留まり続けることが不可能となり、おきてくる現象です。
どんな死に方であれ、例外なしに死とは魂の急激な成長の時です。
我々の本質は生でもなければ、死であるわけでもありません。
「生」と「死」、その間にあるもの、それこそが我々の本質そのものです。
そのどちらでもなく、その間にいて永遠であるもの、それが貴方です。

都留晃一

~
「その間にあるもの」より~

・・・・・・・・・・・・・・

お盆が終わって日常が戻ってきた。
とはいえ、コロナ禍で、私は相変わらず不要な外出は控えている。

おかげで本を読む時間も、映画を観る時間もたっぷりとある。

いつもの年のお盆より、
都留さんのこの言葉がより強く感じたのは
そのせいもあるのかもしれない。

人は、生まれてから死ぬまでの、その間
つまり「今」をどう生きるかが大切なのだということ。
そして
その先にある「死」はその人がどう生きたかの証みたいなものなのだと思う。


コロナ禍だからこそ、自分と向き合う時間が増えている。
有り難い時間だな。と感じながら、大切に使おうと思っている。




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【著書】











時々読ませていただいている
鹿児島の脳神経外科医・平山先生のブログ
「鹿児島認知症ブログ」

そこに
~自己肯定感について/あるいは、コロナ疲れ」~
https://www.ninchi-shou.com/entry/affirmation

という内容の記事があり、興味深く読ませていただきました。

なるほど。と思いながら読んだその中にこんな一文がありました。

>このことに無自覚な人たちは、日々無自覚に搾取され、気楽に他者を攻撃し、何らかの生きづらさは感じつつも、それが自身の発達の偏りからきていることに気づかぬまま齢を重ね続ける。
そしていつか、抑制機能は失われる。



他者を攻撃することは一種のガス抜きのようなものであるとも書かれています。

そこを読んで、改めて自分のガス抜きは、他人に向けるのではなく、自分自ら抜きたいものだと思いました。

ガス抜き・・・と書かれた文章を読み
コロナ禍になってから、朝晩しているヨガのポーズのひとつを思い出しました。
会員のみなさまにもお伝えしたのですが「自律神経を調整するヨガ」のポーズのひとつに、ガス抜きのポーズというのがあります。
これは、日々穏やかに生きるために、自分の思いは自分で整理するためのポーズです。
何気なくお伝えしたポーズだったのですが、偏りから他者を攻撃しているとその攻撃にすら気づかないもの。
そんな時に、自律神経を調整することで他者を攻撃してしまったことに気づくこともあるのです。
未曽有のコロナ禍を乗り切っていただきたいという想いで、会員の方達にヨガを提案したのですが
幸い、みなさま気持ちよく継続してくださっているようです。



そして、この記事の最後に、平山先生はこう書かれています。

>「人の悩みを聴き、何事かを提案する」という生き方を選んだ僕の抑制機能が将来失われたとき、そこに残された自己肯定感が爽やかであってくれることもまた、願う。


私自身は、医療従事者ではありませんが、「人の悩みを聴き、何かを提案する」というスタンスはよく似ています。
発達障害の方のご相談も、ここ数年増えています。
この記事を読み、そう遠くはない未来に、万が一自分自身の抑制機能が失われた日が来たときのことを思いました。


認知症は、その人のこれまでの「生き方」が出るという医者もいます。

だからこそ、日々、自分を肯定して生きて行こうと改めて思うのです。
そう、ガス抜きは、自分への水やりでもあるのだから。


そして、ひらやま脳神経外科のHPの中にある平山先生の思いを読ませていただいて
こういう先生がいらっしゃる日本という国は、まだまだ捨てたものじゃないな。と思ったのでした。


事務長とナースを兼務していらっしゃる院長夫人の笑顔もまた素敵です。




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真山ヒロ(ティナ)

❦こころのコーディネーター
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・color coordinator&therapist
・aroma therapist
【著書】




自分の感受性くらい

                               茨木のり子


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


http://officetina.livedoor.blog/archives/19328729.html
・・・・・・・・・・・・


コロナ禍だからこそ
改めて自分に問いたい詩。


情報に振り回されず
自ら判断できる人間になるために。



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【著書】


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風のことば~その向こうへ~をお読みくださった皆様が
さらにたくさんの方に読んでいただきたいとの願いを込めて
全国の図書館へ想いを届けてくださっています。


こんな時代だからこそ、本当に大切なものは何なのか
ぜひご一読いただけましたら幸いです。


尚、販売は、現在、Amazonのみとなっております。
お近くの方は、鎌倉市長谷「idobata coffee」にてお取り扱いがございます。

どうぞよろしくお願い致します。




拙著「風のことば~その向こうへ~」は、現在下記の図書館でお手にとっていただけます。

*尚、図書館寄贈本は、地域によってamazonでの販売本とは仕様が異なる場合がございます。

*各図書館の審査により蔵書本となっております。


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☆蔵書になっている図書館☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【2020.07.25現在】
*下記4館の図書館の蔵書になりました。

・北海道 「帯広市図書館」

・茨城県 「つくばみらい市立図書館」

・広島県 「広島市立中央図書館」

・高知県 「オーテピア高知図書館」


☆スタッフBlogも更新中➡

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【2020.04.03現在】*下記5館の図書館の蔵書になりました。

・ 山形県   「市立米沢図書館」

・ 愛知県  「安城市図書情報館」

・ 香川県   「香川県立図書館」

・ 沖縄県   「沖縄県立図書館」

・ 沖縄県   「那覇市立石嶺図書館」


☆スタッフBlogも更新中➡

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【2019.12.08現在】

・青森県 「五所川原市立図書館 」

・山形県 「山形県立図書館 」

・山梨県 「上野原市立図書館 」

・長野県 「富士見町立図書館 」

・石川県 「石川県立図書館 」

・岐阜県 「各務原市立中央図書館 」

・福島県 「会津若松市立会津図書館」


・群馬県 「前橋市立宮城分館 」

・千葉県 「市原市立中央図書館 」

・神奈川県「鎌倉中央図書館 」

・福岡県 「北九州市立中央図書館 」「糸島市図書館 」

・宮崎県 「新富町図書館 」

・鹿児島県「鹿児島県立図書館 」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実は、この週末
鎌倉をプライベートで訪れていたフランス人外交官の女性と
とある場所でご縁をいただきました。
彼女は、海外のフランス大使館に勤める若い女性ですが
環境問題や、こころの問題にも関心があり
英語やフランス語が飛び交う中で
「風のことば~その向こうへ~」をプレゼントさせていただきました。

日本語は、まだ読めないとのことでしたが
写真を大変褒めてくださって
嬉しそうにバッグにしまってくださいました。

翌日も彼女と会ったのですが
最後は、「a bientot(またね)」と笑顔で手を振りあって
別れたのでした。

彼女は、女性がかかえる様々な問題にも関心があり
自身がかかえる労働問題のことも含めてお話しを聞くことができました。
ほとんど英語の世界だったので
帰宅後は、気になった単語を必死で調べましたが・・・

「風のことば」が繋いでくれた
ご縁にこころから感謝です♡



こころで感じとる本に、国境はないのかもしれません。
そして、近くでその様子を見ていたステキなマダムもまた
すぐに「風のことば」を購入してくださったのです。

なんて嬉しいご縁でしょうか。。。。




この本を手に取ってくださった方のこころの中で
「風のことば」がひっそりと語りかける日を
わたしは、こころから願っています♡

2019.12.08


❦こころのコーディネーター
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☆感性を育てる鎌倉こころのものがたり

拙著「風のことば」~その向こうへ 
Amazon https://amzn.to/2KhOv6B
YouTube   https://www.youtube.com/watch?v=peTjf1WQdwY






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