Office Tina ~ Le Vent ~

真実を知る勇気とは、現実をしっかり見つめるということ。 それが自分を信じる力になっていきます。 身近にある愛すべき美しいモノたちと共に、鎌倉に吹く風を感じながら日々のことを綴っています。 L'amour est comme le vent, nous ne savons pas d'ou il vient.

タグ:風のことば~その向こうへ~


人のために、何かをしてあげることの意味を
最近よく思います。


先日お会いした青年が
「祖母にうつさないためにワクチンを打つことにしました」
と言った言葉が忘れられません。


コンビニの入り口に立てかけられた新聞の煽るような見出しに
その青年の言葉を想い出し、胸が痛みました。

報道は、平等になされてこそ、その判断が個人のものとなるはずです。
一方通行の報道で彼が判断した結果がどのように出るのかは
今は、誰にもわかりません。

ただ、彼の体がもう元に戻らないことだけは確かでしょう。


その彼と別れた後に、想い出したのが
2007年にYahoo!ブログ「こころのコーディネーター」に掲載した
「人に何かをしてあげること」という、こうづかんなさんのお話でした。


誰かに何かをしてあげる優しさって、何なのだろう・・・
彼と出会ったことで、私もまた改めて
考える時間をもらうことができました。


昨日の記事「種と花☆」と合わせて、お読みいただけましたら幸いです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★


 「人に何かをしてあげること」                    (こうづ かんな)                             

私は、比較的やさしい、思いやりのある人間だと自負していた。

長女で、忙しい両親に代わって妹や弟の面倒をみてきたことが
習い性となったのか、頼まれごとをされれば、なんでも引き受けてしまうし、
少しばかり自分の時間や労力を費やすことになっても、
それを惜しむ気持ちにはあまりならない。

だから他人からは、面倒見がいいとか、気配りがあるとか、
やさしいとか言われ、そう言われればもちろん悪い気はしないから、
自分でも何となくそんな気になっていた。

そんなある日のことである。
食事中に私は、友人から意外なことを言われた。

共通の友人の窮地を見かねて、私が一肌脱いだ経緯を話し終わった時、
彼は小さく溜め息をついて言ったのだ。

「君のやさしさってさ、自己満足的なところがあるよね」

私はカチンときた。「どういうことよ、それ」

「いや、だからさぁ、
君は確かに相手のために何かをしてあげているんだろうけど、
結局それは、自分の美学をまっとうするためって感じが、
ときどきするんだよね。」

彼は言いにくそうに、けれどもきっぱりと私に言ってのける。

私は猛然と反論しはじめた。

「何かしてあげて、
それで少しばかりこちらの気分がよくなったら自己満足なの?

やさしくしてあげよう、と心掛けていることをしたのに、
それは自分の美学を遂行したにすぎないって言葉で片づけるの?

それって、あんまりじゃない。

もちろん私は神でも仏でも聖人でもないんだから、
そりゃあ無垢な心でやってる訳ではないけど、
相手のことを思ってやっているのは事実よ」
 
黙ってしまった彼の前で、私はひたすら言葉を続けた。

「百歩譲って偽善でもいいじゃないの。
偽善でやさしくできるほうが、何にもしないより少しはましでしょ?

能書きばかり言って、
あなたみたいに何もしない人っていうのが一番始末が悪いのよ」
 
こちらもついつい興奮して、刃の鋭い言葉を投げつけてしまう。
彼は苦笑して私を見た。

「ごめんごめん。べつに君を批判してるわけじゃない。
人に何かしてもらいたいってことばかり求めている人が多い中で、
君みたいにしてあげることを喜べる人は、偉いと思ってるよ。
ただ……。 そこで立ち止まっているのは君らしくないと思ってるだけ。」

話はそこで終わり、気まずいまま私たちは店を出て、
ほとんど会話をすることなく駅まで歩き、
そしてそのまま別々の電車に乗った。

下り電車はまだ混んでいて、私は吊り革にぶら下がりながら、
さっきの友人の言葉を思い返した。腹は立つのだが、何となく気になる。

残念だが心の奥底が、
どこかで彼の言葉を認めているような気もしはじめていた。


ふと昔聞いた仏教説話を思い出す。

それは地獄を釈迦が歩いている時のことだった。
地獄に落ちた人々が、釈迦に向かって口々に「食べ物をくれ!」と叫ぶ。
釈迦はその言葉を聞き、大皿に食べ物を山のように盛り、人々の前に置いた。

そしてこう言ったという。
「食べても良いが、手掴かみではいけない。この箸を使って食べるように」

差し出された箸は、重くて長い箸だった。
人々は釈迦が歩み去るのを待ちかねて、箸に手を延ばし、
食べ物を口に入れようとした。
ところが箸は長いので、食べ物を箸の先が掴んでも、
遠くてそれを口に入れることができない。
ならば箸の下のほうを持って……と試みても、箸は重いので、
今度は満足に操ることもできない。

結局、目の前に山のような御馳走があるのに、
それらを口に入れることができないのである。
人々が泣き叫んでいると、ある一人の老人が何事かを思いついた。

箸で食べ物を掴んだら、自分ではなく、目の前の人の口に入れるのである。
食べさせてもらった人は、もっと食べたいから、その人も箸で食べ物を掴み、
自分の口ではなく、目の前の他人の口に入れる。
 
自分ばかりが食べようとしている時には口に入らなかった食べ物が、
人に食べさせることによって自分の口に入る。
人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながるのだ
……というような話だった。

こういう戒めはキリスト教にもある。
聖書には「自分がしてほしいと思うことは、人にもそのとおりにせよ」という
言葉がある。ごくごく基本的な「思いやり」の教えなのであろう。
 
けれども、あの仏教説話を聞いた時、確かその話をした人は、
こんなことを付け加えていたのではなかったか。

「これは、思いやりは大切だという教えではありますが、
もう一つ大切なことが隠されています。
それは、人が誰かのために何かをするという行為は、
所詮、自分への見返りを期待してのこと。
仏の慈悲と同じだと思い上がってはいけない……ということです」

友人はこのことを言っていたのだろうか。
自分の行為を仏と同等に扱ってはいけない。
それは思い上がりであると言いたかったのであろうか。
 
私は決して、何かを人にしてあげる時、
具体的な見返りを期待しているわけではないと思っているが、
でも心の底には、そうする自分を見て満足するとか、
人の評価を聞いて満足するというような、
精神的見返りを持っているところが皆無とは言いがたい。 
 
私は窓の外に目を遣りながら、じっと考えた。
聖書の中に、こんな言葉もあったっけ。

「人がその友のためにいのちを捨てること。それより大きな愛はない」

見返りを求めず、自分の身を投げうつことが愛というならば、
私がささやかにしている行為など、愛の足元にも及ばない。
 
私は胸が苦しくなった。
 
してもらうことを望むより、してあげることの喜びを感じられるほうがいい。
偽善でも見返りを求めるような気持ちがあっても、
やさしさを表さぬよりは、表したほうがいい。

けれども、そこは第一のステップにすぎない。
その上に、階段はずっと続いているのである。
私はその階段があることに気づいていなかった。
…いや、気づいていたのかもしれないが、
面倒で、見ないようにしていたのかもしれない。
 
友人はたぶん、そういうことを言いたかったのだろう。
けれども、だとしたらいったい私はどうしたらいいのだろう。
どんなふうにすれば、せめてもう一段、階段を上がれるだろう。



帰宅後、
私は思い余ってさきほど別れた友人に電話をした。

電車の中で気づいたことを素直に告げた後、
どうすればいいのだろうと尋ねたら、彼は笑いながら言った。

「感謝感謝」

「え?」

「神や仏の愛はもちろんだろうけれど、たとえば・・・・・

植物はさ、あなたのために無償で空気を提供してくれてるんだし、
太陽はさ、何の見返りもなくあなたを暖めてくれてる。

人は誰もみんな、気づいていないかもしれないけど、
もの凄い『やさしさ』を与えられながら生きているわけよ。

それを思えば、君は誰かに何かをしてあげた時、
きっと自己満足なんかしないと思う。

むしろ、あたりまえだと思っていた街路樹やこもれびにサンキューって
言いたい気分になると思う。偉そうなこと、俺も言えないけどね」

私は体中が温められたような気分だった。

その友人は二年後に亡くなった。

周囲の人の殆どは知らなかったが、
彼はずいぶん以前から重い病を抱えていたという。
もちろん私もそんなことはまったく知らなかった。

郷里に住む高齢のご両親にかわって、
友人たちが彼のアパートの整理をした。
そのうちの一人が、後日、私に電話をしてきた。

「彼の部屋は貼り紙だらけだった。テレビには『笑いに感謝』、
流しの水道には『水に感謝』、トイレには『排泄に感謝』、
ベッドには『眠りに感謝』、それに……薬の入った箱にまで貼ってあるの。
何て書いてあったと思う?
『病気に感謝』って書いてあったのよ」

彼女はそういうと電話口で泣きだした。

人に何かをしてあげること。

それはもしかしたら、
自分が目に見えぬ多くのものに守られ愛され支えられていることを
素直に感謝する瞬間なのかもしれない。
 
次のステップはまだ遠い。
でも私はあの友人のおかげで、
ほんの少し心の階段を上ることができたかもしれないと思っている。

                            ~《大望》2月号より転載~

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❦こころのコーディネーター
Office Tina
真山ヒロ(ティナ)

・life designer
・color coordinator&therapist
・aroma therapist
・writer





お久しぶりです。

みなさまお元気ですか?

私は、改めて原点に返り
淡々と「種を蒔く日」を過ごしています。
これまでもしてきたことを
別の角度から継続しています。

2008年にYahoo!ブログ「こころのコーディネーター」に掲載した
記事を改めて読んでいます。

みなさまも、お読みいただけましたら幸いです。

***********************



「種と花」


むかーし昔、人々は持って生まれた能力を特に活かせることもなく
まるで生活をするために生きているかのようでありました。

一日の時間のほとんどを労働に使っていた
もったいない時代がありました。

その頃、人々の多くは、自分の中心から少し
あるいは完全にズレたところで生きておりました。

元気の源である自分の中心と繋がって生きてないため
精神的に不安定になったり
イライラしてすぐに腹を立てる人々がたくさんおりました。

そういった人々の思いや行動の源にあったのは
「恐れ」でした。

「恐れ」が想いの中心にあるので
人々は競争原理や奪い合いの精神に突き動かされておりました。

心の病にかかる者がどんどん増え
家庭の中での暴力や、学校や職場でのイジメ
環境破壊に戦争と
世界は破壊のエネルギーに満ち満ちておりました。

そんな時代がどんどん進行していく中で
この世界をあきらめるのでもなく
嘆くのでもなく
はたまた批判するのでもなく
本来の人の持つ力を信じて
ただ、黙々と種を蒔く人々がおりました。

種を蒔く人々は
「問題の原因は、人が自分自身の中心とつながって生きてないためだ」
ということに気づいておりました。

ですから、人々が自身の中心に戻れるような機会を作っていこうと
それぞれ、好きなことや得意なことで、種を蒔いてゆきました。

ところで、種はどうのようにしてできるのでしょうか?
種を作るには、花を咲かせればいいのです。
一人ひとりが自分の花をさかせれば、そこに種は生まれます。

土の中には長い間、眠ったままの種が何千何万とあるそうです。

それらの種は、何かの拍子に土が耕されたり
揺り動かされたりすると、その刺激で目を覚ますそうです。

人の中にもたくさんの種が眠っています。

そして、何かの拍子に心がほぐれたり
感動して心が動かされたりした時に
心の種は「ぴこっ」と目を覚ますのです。

種が目を覚ましても、目が出て花が咲くまでは
しっかり世話をしてあげなくてはいけません。

芽がまだ小さい時には
外からの強い雨風から守ってあげ
伸びはじめたら今度はせっせと水をやり、陽に当ててあげるのです。

それは、自分自身の仕事です。

人が花を咲かせれば、その花を見た誰かの心が動き、
眠っている種が目を覚まします。

一つの花からは、たくさんの種が生まれます。
そして、人は種をまくことができるのです。

黙々と種を蒔く人々の行為が、ある一定値を越えた時、
世界中に一斉に花が咲きはじめました。

それらの花々を愛でることによって
さらに人々の中に眠っていた種も次々と目を覚ましていきました。

こうして世に咲く花はどんどん増えていき
世界はあっという間に、色とりどりの花でいっぱいになりました。

きれいな花を見て「きれい・・・」と愛でる時
人は自分自身の中心とつながっています。
「愛でる」
とは、すなわち愛の状態にいるということです。

こうして世界は今のように、愛のエネルギーで満ち満ちるようになったのでした。

おしまい。


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昨年のコロナ禍の時よりも
接種が始まってからの方が数段忙しい日が続いています・・・ 

情報が偏っていることが、仕事の量を増やしているのかもしれません。
つじつまの合わない情報が山のようにあって
それをひとつひとつ紐解く作業をしています。


少し、海からの風を感じたくなって
海岸へと向かいました。

海は、いつもと同じように
穏やかな色を残して暮れて行きました。


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彼女のこの声をBGMに、今日は、仕事関係の本を読みました。

その存在こそが奇跡と言われるAretha Franklin

「魂を揺さぶるほどの天才と言われる人は、
時代とともにいなくなりましたね」
という話を、昨日出逢ったステキな画家の方とお話したばかり。

経済優先主義の世界になり
本当にいいものが作られなくなってしまった結果かもしれません。

感じとるこころがなければ、魂を揺さぶるものに出会うことすらできない現代。

誇張された一方的な情報ではなく
自分自身の確かな目とこころを信じる時代を作り上げるのは
私たち、ひとりひとりの真実を見抜く目なのだと思います。


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昨日の海の西側には
うっすらと夕焼雲がかかっていました。

目の前に見える青のグラデーションの海と
少し後方に見える茜色の空を眺めながら

どちらを向くかで
その人の未来は変わっていくのだろうと思いました。

そのどちらが正解かは
ずっと後にならないとわからないことだけれど


私は、未来の子供たちの為に
どちらの方向を向いていても
そこに自然に存在する
「美しい空気」を残していきたいと感じています。


それは、ただ見えている目の前の景色ではなく
どこへ行っても「安心して呼吸ができる世界」を残すということ


私たち大人が
子供たちに残すことができる
唯一お金よりも大切なもの


コロナ禍は
それぞれが見えている景色の違いを
確かめるためにあるものかもしれません。



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https://www.youtube.com/watch?v=feSVtC1BSeQ

今日の鎌倉は、朝から雨。

仕事の前に簡単に体を動かすことができるので
日課としてラジオ体操を続けています。

デスクワークが多い私は
さまざまな運動を試みてみたのですが
時間的制約もあり
結局今は、手軽にできるこのラジオ体操に落ち着いています。

子供の頃は、テキトーにやっていたラジオ体操ですが
大人になってやってみると、かなり考えられているものだとわかり
結構、深かいことに気づきました。


今日は、ラジオ体操第二もやってみたら
結構ハードで、仕事前に息切れ中(笑)


コツコツと体力と免疫力UPを実行中です!!



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所用で急遽、朝から出かけました。

夕方からは、本格的な雨になりましたが
日中は、しっとりと濡れた緑が
目に優しい1日になりました。

雨に濡れた庭を眺めていると
今、起こっている現実は
なんなのだろうと
不思議な気持ちになります。

コロナ禍は、人の姿の様々な面を
改めて
私たちに教えてくれています。


我が家には、10年以上前から
テレビがありません。

最近は、唯一の情報源であったネットまでが
残念なニュースばかりを伝えています。


私たちが正しい判断をするためには
一方的に与えられた情報だけではなく
自ら探し出す勇気が必要だと、今、私は思うのです。

それが、自分の足で立ち
情報に左右されない人を作り出すのではないでしょうか。


残念なことに規制が厳しくなってしまった今は
真実すら、見つけ出すことが難しくなってしまいました。


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風のことば―その向こうへ―
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2019-06-17









連日深夜まで仕事が続いていたのに
目覚ましより早く起きた朝は
それだけで、ちょっと特をした気分になる

おはよう!と窓を開けて空につぶやく !

こころの窓も同じ・・・・

閉じればネガティブ
開ければポジティブ


仕事でへこんだ週末を
救ってくれたのは
そんな窓を開けた朝・・・


風のことばが聞こえた日




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昨日は、やっとインスタグラムに半年ぶりに写真をpost!

気づけば半年もたっていて、postの方法も変わっていました。
戸惑うこと数分(笑)

ストーリーの方には時々投稿していたのですが
今の私は、もう写真というカタチで
何かを残したいと思っていないのかもしれません。


いろんな想いを感じた2020年も今日が最後。
ただ、インスタにも綴った通り
私のこころの中は、いつもの年よりも静かだったように思います。


年齢を重ねたことが、そうさせたのか
好きなだけ、大好きな家にいられたことがそうさせたのか
そのどちらもが、答えなのかもしれません。


答えはひとつではないからこそ
最後まで自分を観続けて
新しい自分を知ることを楽しもうと思っています。


そう!
いつだって、明日は新しい自分。
美しい朝焼けを見るたびに私は、そう思うのです。



みなさま
今年も、私の拙いblogをお読みくださり、本当にありがとうございました。
来年は、たくさんの笑顔に直接お会いできる年でありますように・・・・
どうぞ、良い年をお迎えくださいませ。




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ベッドで雨音を聞きながら目が覚めました。

家にいる時間が増えた2020年・・・・
わたしは、あえていろんな音に耳を傾けながら暮らしました。

数日前に10年間お世話になったウォーターサーバーともお別れしました。
Officeでも使っていたので、お客様をお待たせすることなく
さっとお茶が出せる便利さは、その時は、代えがたいものでした。

朝起きると、お湯もお水も豊富に在った生活から、お湯を沸かす当たり前の生活に戻りました。


お湯が沸騰してくる音や、それをポットに移すときの音
ペットボトルからカップにそそぐ音など、どの音も同じ水であって
同じ音ではありません。

そんな生活の音を愛おしく思いながら、朝の暮らしが始まっています。


雨音が少し静かになってきました。
今夜も、夕べのようにお月様をみることができますように・・・。
満月ですもの。



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