時々読ませていただいている
鹿児島の脳神経外科医・平山先生のブログ
「鹿児島認知症ブログ」

そこに
~自己肯定感について/あるいは、コロナ疲れ」~
https://www.ninchi-shou.com/entry/affirmation

という内容の記事があり、興味深く読ませていただきました。

なるほど。と思いながら読んだその中にこんな一文がありました。

>このことに無自覚な人たちは、日々無自覚に搾取され、気楽に他者を攻撃し、何らかの生きづらさは感じつつも、それが自身の発達の偏りからきていることに気づかぬまま齢を重ね続ける。
そしていつか、抑制機能は失われる。



他者を攻撃することは一種のガス抜きのようなものであるとも書かれています。

そこを読んで、改めて自分のガス抜きは、他人に向けるのではなく、自分自ら抜きたいものだと思いました。

ガス抜き・・・と書かれた文章を読み
コロナ禍になってから、朝晩しているヨガのポーズのひとつを思い出しました。
会員のみなさまにもお伝えしたのですが「自律神経を調整するヨガ」のポーズのひとつに、ガス抜きのポーズというのがあります。
これは、日々穏やかに生きるために、自分の思いは自分で整理するためのポーズです。
何気なくお伝えしたポーズだったのですが、偏りから他者を攻撃しているとその攻撃にすら気づかないもの。
そんな時に、自律神経を調整することで他者を攻撃してしまったことに気づくこともあるのです。
未曽有のコロナ禍を乗り切っていただきたいという想いで、会員の方達にヨガを提案したのですが
幸い、みなさま気持ちよく継続してくださっているようです。



そして、この記事の最後に、平山先生はこう書かれています。

>「人の悩みを聴き、何事かを提案する」という生き方を選んだ僕の抑制機能が将来失われたとき、そこに残された自己肯定感が爽やかであってくれることもまた、願う。


私自身は、医療従事者ではありませんが、「人の悩みを聴き、何かを提案する」というスタンスはよく似ています。
発達障害の方のご相談も、ここ数年増えています。
この記事を読み、そう遠くはない未来に、万が一自分自身の抑制機能が失われた日が来たときのことを思いました。


認知症は、その人のこれまでの「生き方」が出るという医者もいます。

だからこそ、日々、自分を肯定して生きて行こうと改めて思うのです。
そう、ガス抜きは、自分への水やりでもあるのだから。


そして、ひらやま脳神経外科のHPの中にある平山先生の思いを読ませていただいて
こういう先生がいらっしゃる日本という国は、まだまだ捨てたものじゃないな。と思ったのでした。


事務長とナースを兼務していらっしゃる院長夫人の笑顔もまた素敵です。




Office Tina

真山ヒロ(ティナ)

❦こころのコーディネーター
・life designer
・color coordinator&therapist
・aroma therapist
【著書】