Office Tina ~ Le Vent ~

真実を知る勇気とは、現実をしっかり見つめるということ。 それが自分を信じる力になっていきます。 身近にある愛すべき美しいモノたちと共に、鎌倉に吹く風を感じながら日々のことを綴っています。 L'amour est comme le vent, nous ne savons pas d'ou il vient.

タグ:真山ヒロ

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10年ほど前から、ずっと欲しいと思いながらも
ご縁がなかったのが


ウクレレ!!


欲しいと思ったきっかけは
ジェイク・シマブクロのコンサートでした。
あれから、約10年・・・

何度も楽器店に足を運んだのですが
気に入った音色に出逢えず、諦めていました。

たまたま、そのことをスタッフNに話したところ
「ご近所のショップで8月末までウクレレフェアをやっていますよ」
と言われ、その足で向かったのが30日のこと。


そこで、もう、何とも可愛い音色のウクレレに出会ったのです。
その子は、夏の終わりに、あっという間にうちの子になりました。

楽器との出会いも、ご縁ですね。


音を聞く暮らしも好きだけれど
やっぱり自分で奏でる音は、別の世界に連れて行ってくれます。


コロナ禍のおかげで、お楽しみがまたひとつ増えました!!


海辺の町で買った10年越しのウクレレ!

大切に、わたしの音を育てようと思います。



❦こころのコーディネーター
Office Tina
真山ヒロ(ティナ)

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あえて間違える高度なテクニックに
笑い過ぎてしまいました。

自然免疫UPUPです♪


振り付師ジェローム・ロビンズの作品


みなさん、たくさん笑っていますか?!
22021年もあっという間に9月ですね。
日々、笑顔を忘れずに過ごしましょう。




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ちょっと小腹がすいた昼下がり。
スタッフNとお気に入りのカフェへ出かけました。
甘いケーキはやめましょうと我慢して
サンドイッチを注文したら

オーナーさんが
「いつもありがとうございます」
とおっしゃって
食後に手作りケーキを出してくださいました。


食いしん坊のスタッフNが
にっこり微笑んだ顔が忘れられられない
昼下がりのおやつ時間♬


コロナ禍が長引いて、立ち寄るお店も少なくなりましたが
こんな風に、ホッとできる時間を提供してくださるオーナーさんは
ご住職の奥様です。


小一時間ほどでしたが、何事にも左右されず
ゆったりと時間が流れる境内のカフェで
「安穏無事」を味わう時間を
たまには、大切にしたいと思っています。


この町で暮らすことに、日々感謝です。



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先日、縁切り寺で有名な北鎌倉の東慶寺へ久しぶりに行ってきました。
北鎌倉に住んでいた時は、年間パスポートを持っていて
毎朝、仕事の前に東慶寺にお参りしたものでした。

東慶寺には、和辻哲郎、谷川徹三、小林秀雄、高見順など
有名人のお墓もたくさんあります。

哲学者で有名な西田幾多郎先生のお墓がこちらにあることを知ったのは
つい最近のこと。
そして、その西田先生を尊敬した高木惣吉海軍少将のお墓もその近くにあると知り
お参りをかねて行ってきたのでした。

高木海軍少将が、終戦工作のために、自分の命をかけて奔走したという話は
コロナ禍になり、日本や世界の歴史を紐解く作業の中で
日本の戦後を調べている時に、知ったことでした。

その後、とある番組の中で下記の話を聞き、高木少将のお墓が東慶寺にあることを知ったのです。

「平成天皇がまだ皇太子だったころ、美智子さまと浩宮さま(令和天皇)と
この東慶寺においでになった時のこと。

ご案内の住職が境内の一角に並ぶ墓の傍らを通り過ぎた時、「ここに高木という海軍軍人の墓もございます」と何気なく申し上げた際に

当時の皇太子殿下が、一瞬ハッとされて「高木海軍少将ですか」と念を押されたのだそうです。
そのあと妃殿下、浩宮さまとささやかれ、高木少将の墓前に佇まれ黙礼されたといいます。
終戦工作に奔走した高木少将のことは宮中でもご存知だったのです。」



戦争を知らない私たちも、このような先人たちのおかげで今の日本があるということを
決して忘れてはいけないと思った日でもありました。


そして、今、大切なことは
未来の子供たちが笑顔で過ごせる国を残していくのは
今の私たち大人であるということです。

真実をしっかりと見極める目を持ち
自分の力で調べ、考える力を持つこと。
その上で、今を生きること。
自分の意志で行動することでしか
目の前の世界は変わらないと、私は思っています。

戦争中は、偏向報道で国民は真実を知らされていませんでした。
しかし、戦後75年もたった今も、同じように偏向報道がなされていることに驚きしかありません。

ただ、歴史を振り返ると、常に同じことが繰り返されていることがよくわかります。

そして、75年前と違うことは、今は、調べようと努力することで
真実は見つけることが出来るということです。

一方的に与えられる情報ではなく
少しでも疑問に持ったことは、自ら調べる努力をすることで
新しい未来の道が開かれることもあります。
これまでの経験から、私は、そう信じて生きています。



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仕事を終えてからお気に入りのお店へ

ハーブ&スパイスやナッツがたくさんあるこのお店では
自然と笑顔がこぼれます。
スタッフさんと楽しく会話をしながら
スパイスやハーブを選ぶのも楽しい時間です。

体に優しいものを提供しているSHOPは
人も空気も柔らかでホッとします。

巷では、感染者という名の
数字だけが大きく騒がれていますが
本当に大切なことは
そこではないように私は感じています。

数字や偏ったニュースの
誇張された煽りに踊らされることなく
私は、至って平和に暮らしています。

この日のお買い物はフェンネルシード♪
帰り道は、太陽をたくさん浴びて歩いて帰宅!
気持ちの良い午後の時間でした。



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倉本総脚本のドラマ
「風のガーデン」2008年の作品

死を目前とした男が絶縁した家族のもとへ戻っていく物語を通して
“生きること・死ぬこと”の意味を描く終末医療を考えるドラマ。

舞台は、北海道富良野。
緒方拳さんの遺作にもなったドラマで、緒方さんの迫真の演技が今も忘れられません。
特に、番組内で流れる花言葉は、今も印象に残っています。

私の大好きな揺れるように咲く、白いガウラの花ことばは
ドラマの中では「帰ってきた魂」と読まれていました。

平原綾子さんの主題歌を聞くと、
国内でありながら近くて遠い北国を思い出し
今も、ほんの少し切なくなります。


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今年の夏休みは8日間ほどいただいたのですが
珍しく仕事は一切しませんでした。


これは、おそらく初めてのこと。

積読の本も読みたかったし
仕事以外のことに気持ちを向け
意図的に過ごそうと思う気持ちが大きかったからかもしれません。



そんな中で2冊の本を読み終えた。

1冊は、2021年上半期直木賞受賞作となった「星落ちて、なお」
澤田瞳子さんの作品。

河鍋暁斎の娘、暁翠を描いた作品だが、
言葉の美しさ、画材など、自分が使っていたもの等を思い浮かべながら
女流絵師の一生に心が動いた。
数年ぶりに一気に読み終えた本。

彼女の美しい言葉選びに惹かれて
次に「火定」を手に取った。

「星落ちて、なお」の1.5倍はある分厚い単行本に
一瞬ひるんだが、
「今のこの現状とよく似ているのよ。読んでみて!」と
行きつけのカフェの奥様に勧められて読み始めた。

2017年下半期の直木賞にノミネートされた作品だが
読みながら、この作品がこの時、直木賞をとっていたら
今の世の中で、もう少し気づく人が出たのではないかという気持ちになった。

時は、天平。
天然痘の流行に翻弄される人々を描いている。
直木賞ノミネート時の評価は、なかなか辛辣な意見もあったようだが
私は、今のコロナ禍の状況と照らし合わせながら
1000年以上の時が流れても、人は変わらず不安を煽られると
騙されるのかと、いつの世も変わらない人のこころに
胸が少し痛くなった。

病の描写のおどろおどろしさはあったが
今の世の中の矛盾の方がずっとドロドロしているように感じて
予想に反して、意外とあっさり読むことができた。


翻弄される人々の描写は、まさに「今」であり
改めてこのコロナ禍を別の角度から見つめる一冊になった。

TVもなく、ネットも見ず、ただ本に没頭した2021年の夏。

読み終えて西の空を見上げると
赤い炎のような、美しい夕焼けを見ることができた。
地上に向かって、何かが降りて来たような雲に
少し嬉しくなった夏の終わりの夕暮れ。

うん。きっとすべてうまくいく!!



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「木を見て森を見ず」

古くから言われている諺のひとつですが
知人から教えていただいた古武道の技の中にこの言葉が出てきて
改めて「今」を思いました。

この言葉には
「細かい部分にこだわりすぎて、大きく全体や本質をつかまないこと」という意味があります。
一部のことや細部にとらわれすぎて、全体に注意を向けず
物事の全体を見ることをおろそかにしている状況を表しています。
小さいことだけに心を奪われると全体を把握できないということのたとえです。

特に、今現在の世界中の状況は
人々の恐怖や不安が前提にあります。
恐怖や不安があると、人はそこに心を奪われてしまい
これがそもそも何から始まったのか、そこを見ることを忘れてしまいます。

全ての原因は源にあることを知ると
今、目の前で起こっている現実に振り回されることはないものです。

私たちは、森の中に立つ
一本の木と同じようなものです。
風が吹こうと雨が吹こうと
ただ、そこにしっかりと根を張り
その立ち位置で自分を生きること。


それが
現実に惑わされず
淡々と自分を生きるということなのだと私は思います。



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お盆入り前にと
昨朝、父のお墓参りに行ってきました。
くもり空でしたが、かすかに富士山も頭を出してくれました。


お寺の山門の横には
ご住職の手書きと思われる
言葉が書かれていて
私は、お参りのたびに、そこで足を止め
気持ちを新たにします。


「祖先とは遠き昔にありて
しかも現今に
子孫の上に生きつつあるものである」


私たちの体には、ご先祖からのDNAが
脈々と生き繋がれています。
そのことを決して忘れてはいけないのだと思います。

そのことがこころの中心にあれば
体の中に人工的に遺伝子を操作する可能性のあるものを
入れることを考えるようになるのではないでしょうか。


食品であれ、薬品であれ
私たち大人は、私たちの力で調べ考える力を持っています。
何が正しいのかそれをしっかりと見極め
子供たちに伝えていく・・・・


大切なことは何か
原点に立ち戻り
小さな子供たちの未来を願う朝です。



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人のために、何かをしてあげることの意味を
最近よく思います。


先日お会いした青年が
「祖母にうつさないためにワクチンを打つことにしました」
と言った言葉が忘れられません。


コンビニの入り口に立てかけられた新聞の煽るような見出しに
その青年の言葉を想い出し、胸が痛みました。

報道は、平等になされてこそ、その判断が個人のものとなるはずです。
一方通行の報道で彼が判断した結果がどのように出るのかは
今は、誰にもわかりません。

ただ、彼の体がもう元に戻らないことだけは確かでしょう。


その彼と別れた後に、想い出したのが
2007年にYahoo!ブログ「こころのコーディネーター」に掲載した
「人に何かをしてあげること」という、こうづかんなさんのお話でした。


誰かに何かをしてあげる優しさって、何なのだろう・・・
彼と出会ったことで、私もまた改めて
考える時間をもらうことができました。


昨日の記事「種と花☆」と合わせて、お読みいただけましたら幸いです。


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 「人に何かをしてあげること」                    (こうづ かんな)                             

私は、比較的やさしい、思いやりのある人間だと自負していた。

長女で、忙しい両親に代わって妹や弟の面倒をみてきたことが
習い性となったのか、頼まれごとをされれば、なんでも引き受けてしまうし、
少しばかり自分の時間や労力を費やすことになっても、
それを惜しむ気持ちにはあまりならない。

だから他人からは、面倒見がいいとか、気配りがあるとか、
やさしいとか言われ、そう言われればもちろん悪い気はしないから、
自分でも何となくそんな気になっていた。

そんなある日のことである。
食事中に私は、友人から意外なことを言われた。

共通の友人の窮地を見かねて、私が一肌脱いだ経緯を話し終わった時、
彼は小さく溜め息をついて言ったのだ。

「君のやさしさってさ、自己満足的なところがあるよね」

私はカチンときた。「どういうことよ、それ」

「いや、だからさぁ、
君は確かに相手のために何かをしてあげているんだろうけど、
結局それは、自分の美学をまっとうするためって感じが、
ときどきするんだよね。」

彼は言いにくそうに、けれどもきっぱりと私に言ってのける。

私は猛然と反論しはじめた。

「何かしてあげて、
それで少しばかりこちらの気分がよくなったら自己満足なの?

やさしくしてあげよう、と心掛けていることをしたのに、
それは自分の美学を遂行したにすぎないって言葉で片づけるの?

それって、あんまりじゃない。

もちろん私は神でも仏でも聖人でもないんだから、
そりゃあ無垢な心でやってる訳ではないけど、
相手のことを思ってやっているのは事実よ」
 
黙ってしまった彼の前で、私はひたすら言葉を続けた。

「百歩譲って偽善でもいいじゃないの。
偽善でやさしくできるほうが、何にもしないより少しはましでしょ?

能書きばかり言って、
あなたみたいに何もしない人っていうのが一番始末が悪いのよ」
 
こちらもついつい興奮して、刃の鋭い言葉を投げつけてしまう。
彼は苦笑して私を見た。

「ごめんごめん。べつに君を批判してるわけじゃない。
人に何かしてもらいたいってことばかり求めている人が多い中で、
君みたいにしてあげることを喜べる人は、偉いと思ってるよ。
ただ……。 そこで立ち止まっているのは君らしくないと思ってるだけ。」

話はそこで終わり、気まずいまま私たちは店を出て、
ほとんど会話をすることなく駅まで歩き、
そしてそのまま別々の電車に乗った。

下り電車はまだ混んでいて、私は吊り革にぶら下がりながら、
さっきの友人の言葉を思い返した。腹は立つのだが、何となく気になる。

残念だが心の奥底が、
どこかで彼の言葉を認めているような気もしはじめていた。


ふと昔聞いた仏教説話を思い出す。

それは地獄を釈迦が歩いている時のことだった。
地獄に落ちた人々が、釈迦に向かって口々に「食べ物をくれ!」と叫ぶ。
釈迦はその言葉を聞き、大皿に食べ物を山のように盛り、人々の前に置いた。

そしてこう言ったという。
「食べても良いが、手掴かみではいけない。この箸を使って食べるように」

差し出された箸は、重くて長い箸だった。
人々は釈迦が歩み去るのを待ちかねて、箸に手を延ばし、
食べ物を口に入れようとした。
ところが箸は長いので、食べ物を箸の先が掴んでも、
遠くてそれを口に入れることができない。
ならば箸の下のほうを持って……と試みても、箸は重いので、
今度は満足に操ることもできない。

結局、目の前に山のような御馳走があるのに、
それらを口に入れることができないのである。
人々が泣き叫んでいると、ある一人の老人が何事かを思いついた。

箸で食べ物を掴んだら、自分ではなく、目の前の人の口に入れるのである。
食べさせてもらった人は、もっと食べたいから、その人も箸で食べ物を掴み、
自分の口ではなく、目の前の他人の口に入れる。
 
自分ばかりが食べようとしている時には口に入らなかった食べ物が、
人に食べさせることによって自分の口に入る。
人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながるのだ
……というような話だった。

こういう戒めはキリスト教にもある。
聖書には「自分がしてほしいと思うことは、人にもそのとおりにせよ」という
言葉がある。ごくごく基本的な「思いやり」の教えなのであろう。
 
けれども、あの仏教説話を聞いた時、確かその話をした人は、
こんなことを付け加えていたのではなかったか。

「これは、思いやりは大切だという教えではありますが、
もう一つ大切なことが隠されています。
それは、人が誰かのために何かをするという行為は、
所詮、自分への見返りを期待してのこと。
仏の慈悲と同じだと思い上がってはいけない……ということです」

友人はこのことを言っていたのだろうか。
自分の行為を仏と同等に扱ってはいけない。
それは思い上がりであると言いたかったのであろうか。
 
私は決して、何かを人にしてあげる時、
具体的な見返りを期待しているわけではないと思っているが、
でも心の底には、そうする自分を見て満足するとか、
人の評価を聞いて満足するというような、
精神的見返りを持っているところが皆無とは言いがたい。 
 
私は窓の外に目を遣りながら、じっと考えた。
聖書の中に、こんな言葉もあったっけ。

「人がその友のためにいのちを捨てること。それより大きな愛はない」

見返りを求めず、自分の身を投げうつことが愛というならば、
私がささやかにしている行為など、愛の足元にも及ばない。
 
私は胸が苦しくなった。
 
してもらうことを望むより、してあげることの喜びを感じられるほうがいい。
偽善でも見返りを求めるような気持ちがあっても、
やさしさを表さぬよりは、表したほうがいい。

けれども、そこは第一のステップにすぎない。
その上に、階段はずっと続いているのである。
私はその階段があることに気づいていなかった。
…いや、気づいていたのかもしれないが、
面倒で、見ないようにしていたのかもしれない。
 
友人はたぶん、そういうことを言いたかったのだろう。
けれども、だとしたらいったい私はどうしたらいいのだろう。
どんなふうにすれば、せめてもう一段、階段を上がれるだろう。



帰宅後、
私は思い余ってさきほど別れた友人に電話をした。

電車の中で気づいたことを素直に告げた後、
どうすればいいのだろうと尋ねたら、彼は笑いながら言った。

「感謝感謝」

「え?」

「神や仏の愛はもちろんだろうけれど、たとえば・・・・・

植物はさ、あなたのために無償で空気を提供してくれてるんだし、
太陽はさ、何の見返りもなくあなたを暖めてくれてる。

人は誰もみんな、気づいていないかもしれないけど、
もの凄い『やさしさ』を与えられながら生きているわけよ。

それを思えば、君は誰かに何かをしてあげた時、
きっと自己満足なんかしないと思う。

むしろ、あたりまえだと思っていた街路樹やこもれびにサンキューって
言いたい気分になると思う。偉そうなこと、俺も言えないけどね」

私は体中が温められたような気分だった。

その友人は二年後に亡くなった。

周囲の人の殆どは知らなかったが、
彼はずいぶん以前から重い病を抱えていたという。
もちろん私もそんなことはまったく知らなかった。

郷里に住む高齢のご両親にかわって、
友人たちが彼のアパートの整理をした。
そのうちの一人が、後日、私に電話をしてきた。

「彼の部屋は貼り紙だらけだった。テレビには『笑いに感謝』、
流しの水道には『水に感謝』、トイレには『排泄に感謝』、
ベッドには『眠りに感謝』、それに……薬の入った箱にまで貼ってあるの。
何て書いてあったと思う?
『病気に感謝』って書いてあったのよ」

彼女はそういうと電話口で泣きだした。

人に何かをしてあげること。

それはもしかしたら、
自分が目に見えぬ多くのものに守られ愛され支えられていることを
素直に感謝する瞬間なのかもしれない。
 
次のステップはまだ遠い。
でも私はあの友人のおかげで、
ほんの少し心の階段を上ることができたかもしれないと思っている。

                            ~《大望》2月号より転載~

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