目覚めてすぐに、お客様からいただいたお米を研ぐ。
最初の感触は、さらりとして柔らか
そして、水を含むとしっかりとして
研いでいるうちに重みを感じるようになった 。

本物は、こうして丁寧に作られた愛を感じることができる。
本物は、こうして人のこころと体に広がるものを持っている。

そんなことを今朝のツイッターで呟いてみた。

しかし、どんなに本物と言われるものがそこにあっても
感じとる心がなければ、その人の中で本物と知ることはできない。


本物を感じ取る「こころ」は、本物に出会い続けることだとわたしは思う。


純粋に、丁寧に、愛情をかけて、命をかけて、作られてきたものを
味わうということ。

お米も、本も、映画も、仕事も
そして、ひとも。
丁寧に愛をかけた純粋なるものたち

本物は、純粋にこころに入ってくる

そこにエゴ(自我)の入る余地はないように思う。
だからこそ、純粋なのだろう。と思う。

感じとるその人のこころが純粋であればあるほど
本物を感じられるのだろう。とも思う。


炊きあがったお米は
ふっくらとして優しい味がしました。

お父様の愛がたくさんつまった丁寧に作られたお米。
お客様からのプレゼントで、改めて感じた本物の味。

どうぞ、彼女がさらに純粋で丁寧に生きることができますように♡


ありがとうの朝ごはん。
感謝の朝です。



☆感性を育てる鎌倉こころのものがたり
お手に取っていただけましたら嬉しいです。
お買い上げいただきました皆様、ありがとうございます。


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真山ヒロ(ティナ)